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2/04/2015

甲府城と御堀


甲府城の御堀と聞いて何を思い浮かべるだろうか。
殆どの読者の皆さんは御城の南東側、桜町一丁目に面したあの御堀を思い浮かべるのではなかろうか。

下に示す地図を見て頂きたい。


御城そのものを囲む内堀のみならず、その外側に二ノ堀、三ノ堀が周らされていることがお判りになるだろうか。皆さんが想像された「御堀」は、内堀のほんの一部なのである。

 各々御堀の内側には土手が築かれ、強固な防御の構えが取られていた。

内堀の内側は言うまでも無く御城であるが、二ノ堀内側は武家地であり、二ノ堀外側が町人地であった。

内堀の内、御城の北側部分は明治期の甲府駅開業のため喪われ、御城の西側及び東側部分に就ても、昭和初期の城内への県庁移転に伴う埋立により喪われ、御存知の通り、南東部が現存するのみである。

二ノ堀は、明治初期に旧郭内が開放された際に大きく埋立がなされた。北部及び東部に就いてはほぼ完全に埋立がなされたものの、西側部分は極々小規模ながら、完全な水路としての機能を残し、往時の面影を今に伝えている。

 三ノ堀は、二ノ堀同様、明治初期に大きく埋立がなされたが、上府中では大半が小規模な水路として残る。下府中北部及び東部に就ては埋立てられた所が多く、水路としての機能は殆ど喪われている。一方南部に就いては濁川の一部であったことも相俟って、ほぼ往時そのままの規模で現存する。

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